For the Haifa Mediterranean Biennale, I stayed at Haifa in Israel and made the series for the Game-Keeper's Jam Cellar. The biennale will open on 18 February 2010 and will be held for a period of two months.
→ http://www.haifabiennale.co.il/index_en.html
תמונות חיפאיות featured in a newspaper
sponsored by 財団法人吉野石膏美術振興財団 YOSHINO GYPSUM ART FOUNDATION
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「空気銃のおもちゃが、ほしいね、ほしいねと。ショウウインドウをみて。買ってもらえなかったんです。ハハハハハハ」
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Installation View/ 展示風景
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作品制作にあたり、文化部の職員でハイファ市で生まれ育ち、自身も高齢であるRonit Eshetさんにコーディネーション兼通訳をしていただいた。まずはその方に撮影の意図をあらためて説明し、説得し直すところから始まり、のべ一週間、毎日12時 間以上時間を共にする事も有り、家族友人から、部長を始め、文化部全てのスタッフやおよび福祉課や他部署のアラブ人スタッフやボランティアの一般人からアラブ人の清 掃員の中学生の息子に至るまで多くの人々の協力を得て、ハイファ市の東西南北様々な地域を訪れ、どこでも大歓迎を受け感激した。
制作を通して、強制収容所から生還した人々に何人も会った。また移民社会の様々なグループ、またアラブ人居住区でもイスラム教徒キリスト教等宗教間の隔たり、様々な立場の複雑な思 惑の違いを目の当たりにし、ホロコーストから共産主義国家、独裁政権、貧困から逃れて来た人々、母国での成功の証として土地を所有する人、またイスラエルで生まれ育った2世、3世、4世の世代間の違い、女性の権利、貧富の差など様々な問題の側面を垣間みた。ユダヤ人宅ではアジア人のヘルパーを多く目にし、アラブ人宅では隣近所のネットワークにより高齢者を支えているなど、スト リートの機能の仕方や住宅の作りからして違うシステムが興味深かった。また、どちらでも家族の結びつきの強さが目についた。「不安は家族の結束を高める」と言った学生の言葉が気になった。
利発な若い市役所の職員にパレスチナ人居住区を案内してもらっていた時に自宅にお茶をいただきに立ち寄り、美味しいお菓子をいただきながら「そこの玄関の傷は父親がこの前の紛争の時に殺されたときのものだ」という話を聞くなど、制作中あちこちに現在進行形の戦争の生傷を目にした。その中で常に不安 に曝されることによって生じる、生き抜こうとする人間の強さと、隠された弱さを感じた。それと同時に想像以上の風景や生活空間や宗教儀式の美しさにふれ、その場所と歴史に固執する人々の強い思いを感じた。作品の政 治性を改めて認識するとともに、情報や表現は武器にもなりうることを痛感した。想像力を越える 価値観の世界の人々と交流し、人間同士として心が通じ合えたと感じることができたことは、大きな財産となった。シリーズ全体としても、日本、韓国で行ったシリーズに重要な展開を広げる事が出来たと思う。
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↑ハイファ市役所の文化部のロニさんと、訪問先のお年寄。ロニさんは滞在中ハイファ中を案内して下った。彼女なしには撮影の成功はなかった。↑強制収容所生還者。建築家のお嬢様が設計したというとても素敵なお宅に住んでいらっしゃる。手作りのおいしいりんごのお菓子を出して下さった。
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↑強制収容所生還者。こちらも、また素敵なお家。壁の絵は全てだんなさまが描かれたそうだ。
↑強制収容所生還者。こちらも、またまた素敵なお家。ぴったり息があっていて、二人でひとつという感じだった。困難を生き延びたからこそなのだろうか。
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↑地元のアーティストのお宅を訪れた後、老人ホームのお母様を訪れる。
↑素敵なご夫婦。だんなさまは強制収容所出身者。ちょうと軍隊から帰ってきているというお孫さんにもお会いした。
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↑ハイファ市役所文化部のスタッフと、別部所のアラブ人スタッフ。最強コンビ。3時間で4件程の撮影にこぎつける。あちこちで、戦争の傷跡を見る。
↑パレスチナ人街で部屋を撮影させて下ったおばあさま。青い部屋着が素敵。お家も素敵で、金色の時計と、十字架が壁にあり、その下にヒョウ柄のソファがあったりする。
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→ロニさんがパレスチナ人の清掃員の方に、ご近所のお年寄り宅訪問をアレンジしていただく。息子さんが迎えに来て下さって、マーケットで野菜を売っているお年寄りのお宅を訪問することができた。
→エルサレムのオールドシティーで観光中、偶然目の合った少年に導かれ、路地の裏のパレスチナ人のお宅に訪問。
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↑撮影のため訪問したお宅。日本にお友達がいて、その方宛の手紙を書いていただいて預った。大好きな部屋だ。作品のこともすぐに理解して下さった。「あなたの撮りたいもの、わかる気がする。小さな四角い箱におしこめられるのが嫌なの」とおっしゃた。「箱からあふれ出た何か」を撮りたいのだと気づかされた。戦争中という環境の中で戸惑っていた時に、心の琴線に触れる言葉をかけて下さる方にお会いできて、本当にうれしかった。「あそこで人が死んだ」「最近はそんなに弾が飛んで来なくてうれしい」「イスラエルはホロコーストを生き延びて、勝ち取ったものだ」という声を聞くと、とても悲しくなる。そして、毎日を生きている人々の強さに感動する。きれいごとではない現実をきれいごとでなく語れない。見せられるもの見ている。そこら中に神様がたくさんいるけど何も信じてない、不思議なスシの国から来たわたしは言葉がなくなる。無言で写真に収めることしかできなかった。そこに私が上手く語れない色々なことが含まれていることを願う。
Special Thanks to Itaru Hirano, The Museum of Modern Art, Saitama | 埼玉県立近代美術館 主任学芸員 平野到
http://www.nrg.co.il/online/47/ART1/973/529.html
http://www.mynet.co.il/articles/0,7340,L-3812218,00.html