秋田公立美術大学ギャラリーBIYONG POINTでは、9月12日(土)より、「KAMIKOANIプロジェクト秋田」関連展示として、2015年度レジデンス作家の江幡京子による個展「ジャムの瓶詰め小屋 The Game Keeper’s Jam Cellar (Mixed Berry)」を開催します。ぜひお越しください。
江幡京子|ジャムの瓶詰め小屋
Kyoko Ebata|The Game Keeper’s Jam Cellar (Mixed Berry)
Kyoko Ebata|The Game Keeper’s Jam Cellar (Mixed Berry)
2015. 9.12(土)-10.4(日)9:00〜18:00 *会期中無休、入場無料
オープニングレセプション 9.11(金)18:00〜19:00
オープニングレセプション 9.11(金)18:00〜19:00
「ジャムの瓶詰め小屋」は近年世界各地で展開されている、高齢者の自宅室内を撮影した写真シリーズです。今回は上小阿仁で撮られた新作はもちろん、これまで世界中で得られた作品を再構成し、作家がこの作品群を通して体験してきた、隣の部屋の中が見える瞬間、そして部屋に通され対象が見えていく過程に生じる感覚のエッセンスをギャラリー空間で再現します。小宇宙ともいうべきそれぞれの部屋。そこへいたる継時的な展開を体感することで、より強く他者の生きている形や時間の堆積に思いを馳せることができるかもしれません。
江幡京子 Kyoko Ebata
美術家。東京都出身、ロンドン大学ゴールドスミス校卒業。
主な展覧会に、「あいちトリエンナーレ2010現代美術展企画コンペ」(2010年)、「現代美術地中海ビエンナーレ」(2010年、イスラエル)など。
主催|秋田公立美術大学、展示設計|小杉栄次郎、広報デザイン|加賀谷奏子、
企画・構成|慶野結香
秋田公立美術ギャラリー BIYONG POINT
秋田市八橋南一丁目1-3 秋田ケーブルテレビ(CNA)内
交通アクセス|秋田駅西口バスターミナルより、秋田中央交通バス2・3・5番線乗車「県立体育館前」、「秋田市保健所・サンライフ秋田前」停留所下車、徒歩3分
美術家。東京都出身、ロンドン大学ゴールドスミス校卒業。
主な展覧会に、「あいちトリエンナーレ2010現代美術展企画コンペ」(2010年)、「現代美術地中海ビエンナーレ」(2010年、イスラエル)など。
主催|秋田公立美術大学、展示設計|小杉栄次郎、広報デザイン|加賀谷奏子、
企画・構成|慶野結香
秋田公立美術ギャラリー BIYONG POINT
秋田市八橋南一丁目1-3 秋田ケーブルテレビ(CNA)内
交通アクセス|秋田駅西口バスターミナルより、秋田中央交通バス2・3・5番線乗車「県立体育館前」、「秋田市保健所・サンライフ秋田前」停留所下車、徒歩3分
お問い合わせ|秋田公立美術大学事務局企画課 tel. 018-888-8478(平日8:30〜17:00)
As a related event to the Kamikoani Project, a solo show "The Game Keeper’s Jam Cellar (Mixed Berry 33)" will be held at BIYONG POINT Of Akita University of Art in Akita-city. Mixing new and previous works with an experimental approach in collaboration with the curator Yuka Keino and architect, Eijiro Kosugi, to show the experience of seeing by building a looking mechanism through which to see the photographs.
Kyoko Ebata|The Game Keeper’s Jam Cellar (Mixed Berry)
9:00-18:00 12 Sep- 4 October
Akita University of Art Galler, BIYONG POINT
展示について
今までの作品を再度編集して展示するということで、作品の中心的なテーマである見る行為、両義性を軸に空間も再編集する試みが行われました。
ギャラリー内には発砲スチロールで作られた高さ2メートル幅10センチの細長いルーバーが角度をつけて並べられています。このルーバーの壁は写真の見る装置のような役割を果たします。「写真の撮影の体験を空間に表現したい」とのことで、キュレーターの慶野さんからの提案で、建築家の小杉さんが設計し、秋田大学の学生さんが施工したものです。各ルーバーには角度がつけられていて、展示室の入り口からは何を展示しているかわからず、だんだんルーバー越しに写真が見えるようになっています。ルーバーの壁は2列になっていて、展覧会を訪れる人は壁の間をぬって、様々な角度から奥にある写真を見ながら、写真の前にたどりつくようになっています。
空間に入ると全て真っ白く、白いLEDスポットのライトが使われ、ルーバーがふわふわした感じで、冷たくない人工の雪の林の中に入ったような、不思議な心地の良い印象を受けます。ルーバーの素材のせいもあるのか、子供のころから入ってみたかった模型の中に入ったようです。
肝心の写真は引いて写真を見ることができず、写真を見せたいのか見せたくないのかわからない。これは、ある意味、写真の暴力性に対する戸惑いと見せたいという欲求の両義性を表しているとも言えます。また、プロジェクトのテーマの一つとしても、老いていくことにより所有物の意味が道具からモノへ変化していく瞬間、老いに対する恐れと敬いという気持ちの両義的な意味が共存しています。写真は過去からも未来からも切り取られ、ただそこに仮の存在としてあり、イメージはその瞬間ごとに別のベクトルに反転します。停滞したあるモノとないモノの間が少しずつ腐って行き、静止したイメージは今でも現在進行形で、生き続け、死に続けていくのです。この空間は静かにそして朗らかにその狭間を称えているようです。
In order to show selected new and previous works, we made an experiment to re-edit the space according to the main theme of the project, ambiguity.
Inside the gallery space, a number of 200 x 10 cm louvers made of Styrofoam are lined up. This wall of louvers dictates the way in which a viewer can see the photographs. These louvers are set up at angles, and when a viewer enters the space, he or she cannot see what’s displayed on the other side of the louvers. As the viewer walks in, he or she can see the pictures from different angles little by little.
When you go inside the space, everything is in white and the louvers, lit with LED spotlights, give an impression of floating in the air. It has strange atmosphere almost as if walking into a non-cold artificial snow forest. I feel like I am in a architectural model of a kind that I’ve wanted to be able to enter since my childhood.
The pictures themselves are not seeable from a distance as in a normal setting. You cannot tell what the purpose of the show is, if the pictures are really intended to been shown or not. In a way this shows the ambiguity of uncomfortable feelings towards the violence of the gaze of photography and the desire to show off. The project of the photos themselves show the moment where belongings change from tools to objects, and suggests an ambiguity towards aging, from fear and desire, to respect. The scene of the picture is cut off from the past and the future, it exists there in a temporary state, and the images flip between the possibility of a past or a future withheld. The gaps between objects which are there and those which are not, slowly rot away, and the still image still seems to move forward towards death.The space celebrate the in between space cheerfully and quietly.