Tokyo Wonder Site Hongo

トーキョーワンダーサイト本郷での展示





https://www.tokyo-ws.org/hongo/20080910/02/02.html

































ローズマリーの木

神戸のAさんのお父様に会いに行きました。駅からタクシーに乗って、坂道を登ると、マンションの前におじいさんが立っていらっしゃいました。顔が見える位近づくと、Aさんのお父さんだということがわかりました。顔の表情の感じが似ているのです。そして、タクシーを降りてご挨拶すると、息子さんと重なっていた印象がご本人自身に戻ったような感じがしました。すごく気さくな方で、少し緊張していたのですが、ほっとしました。

お宅に伺うと、作っていらっしゃる俳句の話や、子供さん達、そして亡くなった奥様の話をして下さり、写真を何枚も見せて下さいました。とてもやさしそうで、感じの良さそうな方でした。そして、持っていったお菓子をお供えするといって、お仏壇の前にお菓子を置きました。そして、そこにあった骨壺を指して、もう亡くなって何年も経っているが、奥様を「あんな暗いところに置けない」とおっしゃって、とても寂しそうな顔をされました。大阪湾を望むベランダではローズマリーが木になっていました。奥様はガーデニングがお好きだったそうです。ローズマリーとユキヤナギ。とても清楚な感じがして素敵なのですが、
広いベランダにけっこうな土が広がっているのに、Aさんのお父さんは多分雑草取りとか必要最低限のことだけされているのでしょうか、春なのに土の部分が多く見えてなんだかストイックなお庭です。ガーデニングを楽しむというよりは、現状を維持している感じがします。育ってしまったローズマリーの木がお墓に埋められない骨壺と相まって、亡くなった奥様の存在を強く感じ、「だんなさんにこんなに愛されたい。」と思いました。「結婚して、だんなさんより先に死んで、こんな風に泣いてもらいたい」願望というのは、ちょっと病んでいますかね。でも、なんだかとってもロマンチックな気持ちになりました。一人暮らしのおじいさんのお宅を訪れると、ほんとに沢山奥様の話をして下さいます。なんだか、とてもせつないのですが、とても素敵です。それに、Aさんのお父さんは「どや」と俳句を詠んで下さる感じが、男の子が「いいでしょ?」と自慢するようで、とてもかわいらしく、まったく嫌みがなくって、とっても素敵でした。こういう風に年をとりたいなと思いました。しばらくすると、撮影に集中したいだろうからと、一人にして下さいました。撮影にはいつも時間がかかるので、部屋の中を一人で撮影していると、だんだん部屋の持ち主と自分がシンクロしてくるような気がしてきます。とても不思議な気持ちです。

撮影の後は駅のスーパーまで夕食の買い物に行きました。桜並木の坂を桜が散る中ゆっくり下り、咲いている花の名前をあてたり、この辺りの歴史を教えて下さったりしました。桜が散ってしまう俳句を詠んで下さって、ご自分と重ねていらして、なんだかちょっとせつなかったです。夕食をごちそうになり、帰りはマンションの前から出ているバスで帰ったのですが、上の廊下からずっと見送って下さっていて、とてもうれしかったです。とっても素敵な一日でした。



祖母の部屋
春に母方の祖母が亡くなりました。近年、父方の祖父母が住んでいた家にしばらく滞在したこと、引っ越した町屋に沢山お年寄りがいつこと、騒がれる年金問題などなんだか自分の周りにこの作品を作れというように老いや死について考えさせられることが沢山起こります。

この母方の祖母の部屋は、この作品を作ろうと思ったきっかけになりました。祖母の家に行くと、いつも大喜びしてくれて何時間もノンストップで昔話が始まります。だいたいいつも同じストーリーで、「おばあちゃんは大変だったけど、一生懸命生きてきて、今は友達がみんな死んでしまって寂しいけど、とっても幸せなおばあちゃんなの」という話です。その時々のワイドショーの影響で所々味付けが違うのですが、毎回だいたい同じ話です。年に1、2回しか行かないので、だいたい「うん、うん」と聞いていますが、さすがにいつも同じなので、暇つぶしに部屋の中をじろじろと見回していると、私が子供のころからずっとそこにある母のかと思われる本、お菓子の缶など、毎回変わらずそこにあるのに圧倒されました。そして、机の上にあるナイフ。それも昔風のよく研ぎ込まれたとっても切れ味のよさそうな古いものがずっと机にあるのです。多分、果物の皮を剥く為にあるのだと思うのですが、台所に立たなくなってからもそこにあったので、多分使われずにそこにずっとあったのかもしれません。そして、テレビとエアコンのリモコンだけはアクティブなのです。

祖母の葬式のあと、非常識だとは思ったのですが、この作品の制作中だったので最後だと思い、一緒に住んでいたおばに祖母の部屋の撮影をさせてくれるように頼みました。おばの許可を得て、部屋の撮影を始めました。おばの胸に抱かれながら息をひきとったという祖母の部屋は以前撮影した部屋より感じが違っていました。ボケ始めてしまい、「顔を出しなさい」コールがなくなったのをいいことに、あまり顔を出さないうちに、居間として使われていた部屋の中にはポータブルトイレと医療用ベットで占められ、ベットルームだった部屋は物置になっていて、以前使われていたベットの上にはハンガーにかかった服が置かれていて、亡くなったときに着せる服を選んでいた様子が伺えます。大変そうな状況にショックを受けながら、撮影を続けました。階下からおばにお茶はどうかと聞かれ、下に降りて行って休憩をしました。その時におばに祖母のものは全部捨ててしまうから、欲しい物があったら言うようにと言われました。その後、2階でまた撮影を再開したのですが、部屋の中にあるものが、「これ欲しい」「あ、これも」と、「もらえるかもしれないもの」に見えてきました。はっと我に返ると、そこには泥棒のように部屋の中を物色している自分がいました。目の前でモノの意味が「おばあちゃまのモノ」から「欲望の対象」へと変わっていくことに気づいたとき、ものすごく気分が悪くなってきました。

祖母の遺品は、今家で大活躍しています。
祖母は遊びに行くととっても喜んでくれて、いつも「帰る」というと、「泊まっていけば」と勧めてくれるのをいつも断って帰ってきてしまっていました。「ごめんなさい、おばあちゃま」。祖母には多くをもらいました。沢山のことを学びました。とても感謝しています。「おばあちゃま、ありがとうございました」。


マッカーサーのドクロとダンキンドーナツ


職場の上司Mさんの義理のお母様のお宅に伺いました。職場の色々な方々のご家族にお会いでき、前よりもよくその方がわかったような感じがして、一層親近感がわいてきます。

駅まで奥様と来るまで迎えに来て下さったMさんのお義母様のお宅は一軒家でした。3ヶ月程前にだんな様がなくなったばかりだとのことで、沢山だんな様の話をして下さいました。畳のたばこの焼けこげひとつでも、だんな様を思い起こすようでした。だんな様は元警察署長さんだったそうです。だんな様が退官された時に、帽子を警察に寄贈しようかとおっしゃったそうです。それをお義母様が「やめなさいよ、はずかしい」と言ったら、庭のたき火で帽子を燃やしていたそうです。「あんなこと言わなければ良かった」と、お義母様はすごく後悔してらっしゃいました。長年連れ添った夫婦の愛ってこういう感じなのでしょうか。お義母様も元夫人警官だったそうです。職場結婚なんですかね、素敵です。婦人警官だったときに、たまたまマッカーサーの部屋に入る機会があって、部屋の中にどくろがあったのを見て、「あれは、日本人のだったのかしら」思うと恐かったとおっしゃっていました。退官されてから、だんな様はいつも近所の少年野球の応援に行っていたそうです。毎回ダンキンドーナツでドーナツを沢山買って差し入れに持っていくので、景品が沢山当ったそうです。言われてみると、あちこちにダンキンドーナツの景品がありました。

撮影の後、出前をとって下さり、ちゃぶ台を囲んでおそばをいただきました。映画みたいで、すごくうれしかったです。お客様が多い家だったそうで、とても気さくに気持ちよく迎えてくださいました。なんだかとっても素敵でした。