秋田公立美術大学ギャラリーBIYONG POINT

秋田公立美術大学ギャラリーBIYONG POINTでは、9月12日(土)より、「KAMIKOANIプロジェクト秋田」関連展示として、2015年度レジデンス作家の江幡京子による個展「ジャムの瓶詰め小屋 The Game Keeper’s Jam Cellar (Mixed Berry)」を開催します。ぜひお越しください。
江幡京子|ジャムの瓶詰め小屋
Kyoko Ebata|The Game Keeper’s Jam Cellar (Mixed Berry)
2015. 9.12(土)-10.4(日)9:00〜18:00 *会期中無休、入場無料
オープニングレセプション 9.11(金)18:00〜19:00
「ジャムの瓶詰め小屋」は近年世界各地で展開されている、高齢者の自宅室内を撮影した写真シリーズです。今回は上小阿仁で撮られた新作はもちろん、これまで世界中で得られた作品を再構成し、作家がこの作品群を通して体験してきた、隣の部屋の中が見える瞬間、そして部屋に通され対象が見えていく過程に生じる感覚のエッセンスをギャラリー空間で再現します。小宇宙ともいうべきそれぞれの部屋。そこへいたる継時的な展開を体感することで、より強く他者の生きている形や時間の堆積に思いを馳せることができるかもしれません。
江幡京子 Kyoko Ebata
美術家。東京都出身、ロンドン大学ゴールドスミス校卒業。
主な展覧会に、「あいちトリエンナーレ2010現代美術展企画コンペ」(2010年)、「現代美術地中海ビエンナーレ」(2010年、イスラエル)など。
主催|秋田公立美術大学、展示設計|小杉栄次郎、広報デザイン|加賀谷奏子、
企画・構成|慶野結香

秋田公立美術ギャラリー BIYONG POINT
秋田市八橋南一丁目1-3 秋田ケーブルテレビ(CNA)内
交通アクセス|秋田駅西口バスターミナルより、秋田中央交通バス2・3・5番線乗車「県立体育館前」、「秋田市保健所・サンライフ秋田前」停留所下車、徒歩3分
お問い合わせ|秋田公立美術大学事務局企画課 tel. 018-888-8478(平日8:30〜17:00)


As a related event to the Kamikoani Project, a solo show "The Game Keeper’s Jam Cellar (Mixed Berry 33)" will be held at BIYONG POINT Of Akita University of Art in Akita-city. Mixing new and previous works with an experimental approach in collaboration with the curator Yuka Keino and architect, Eijiro Kosugi, to show the experience of seeing by building a looking mechanism through which to see the photographs.


Kyoko Ebata|The Game Keeper’s Jam Cellar (Mixed Berry)
9:00-18:00 12 Sep- 4 October
Akita University of Art Galler, BIYONG POINT


 






























展示について

今までの作品を再度編集して展示するということで、作品の中心的なテーマである見る行為、両義性を軸に空間も再編集する試みが行われました。

ギャラリー内には発砲スチロールで作られた高さ2メートル幅10センチの細長いルーバーが角度をつけて並べられています。このルーバーの壁は写真の見る装置のような役割を果たします。「写真の撮影の体験を空間に表現したい」とのことで、キュレーターの慶野さんからの提案で、建築家の小杉さんが設計し、秋田大学の学生さんが施工したものです。各ルーバーには角度がつけられていて、展示室の入り口からは何を展示しているかわからず、だんだんルーバー越しに写真が見えるようになっています。ルーバーの壁は2列になっていて、展覧会を訪れる人は壁の間をぬって、様々な角度から奥にある写真を見ながら、写真の前にたどりつくようになっています。

空間に入ると全て真っ白く、白いLEDスポットのライトが使われ、ルーバーがふわふわした感じで、冷たくない人工の雪の林の中に入ったような、不思議な心地の良い印象を受けます。ルーバーの素材のせいもあるのか、子供のころから入ってみたかった模型の中に入ったようです。

肝心の写真は引いて写真を見ることができず、写真を見せたいのか見せたくないのかわからない。これは、ある意味、写真の暴力性に対する戸惑いと見せたいという欲求の両義性を表しているとも言えます。また、プロジェクトのテーマの一つとしても、老いていくことにより所有物の意味が道具からモノへ変化していく瞬間、老いに対する恐れと敬いという気持ちの両義的な意味が共存しています。写真は過去からも未来からも切り取られ、ただそこに仮の存在としてあり、イメージはその瞬間ごとに別のベクトルに反転します。停滞したあるモノとないモノの間が少しずつ腐って行き、静止したイメージは今でも現在進行形で、生き続け、死に続けていくのです。この空間は静かにそして朗らかにその狭間を称えているようです。


In order to show selected new and previous works, we made an experiment to re-edit the space according to the main theme of the project, ambiguity.
Inside the gallery space, a number of 200 x 10 cm louvers made of Styrofoam are lined up. This wall of louvers dictates the way in which a viewer can see the photographs. These louvers are set up at angles, and when a viewer enters the space, he or she cannot see what’s displayed on the other side of the louvers. As the viewer walks in, he or she can see the pictures from different angles little by little.
When you go inside the space, everything is in white and the louvers, lit with LED spotlights, give an impression of floating in the air. It has strange atmosphere almost as if walking into a non-cold artificial snow forest. I feel like I am in a architectural model of a kind that I’ve wanted to be able to enter since my childhood.

The pictures themselves are not seeable from a distance as in a normal setting. You cannot tell what the purpose of the show is, if the pictures are really intended to been shown or not. In a way this shows the ambiguity of uncomfortable feelings towards the violence of the gaze of photography and the desire to show off. The project of the photos themselves show the moment where belongings change from tools to objects, and suggests an ambiguity towards aging, from fear and desire, to respect.  The scene of the picture is cut off from the past and the future, it exists there in a temporary state, and the images flip between the possibility of a past or a future withheld. The gaps between objects which are there and those which are not, slowly rot away, and the still image still seems to move forward towards death.The space celebrate the in between space cheerfully and quietly.

上小阿仁村 Kamikoain Project Akita

8月6日から10日間秋田県上小阿仁村で高齢者の部屋の写真シリーズ「ジャムの瓶詰め小屋」の新作を滞在制作し、廃校になった小学校の教室で発表しています。

小学校の展示は教室というシステムを使った「劇場性」を持った展示になったと思います。また、教室内に使用した備品はアコーディオン、算数の図形などを説明する模型、秋田のお盆で使われる「お盆とうろう(トロンコ)」などを配置し、抽象的な事柄を表現するものを意識しました。

上小阿仁村は東北の古来の文化が色濃く残る山奥の村です。天然の秋田杉が有名ですが、人口杉によって作られた直線の多さに、はっとさせられます。村の方々はとっても温かく、最初は本当に何を言っているかわからなかったのですが、遠くへ来た感じかして素敵でした。だんだんと慣れるとわかるようになってくるのも楽しかったです。運が良ければ、クマやカモシカに会えるかもしれません。是非いらしてください。

会期:2015年8月1日~9月13日(日)
会場:上小阿仁村、沖田面会場(秋田県秋田郡)
http://kamikoani.com

I have stayed for 10 days at Kamikoani Village, a tiny village in deep deep mountain in Akita in the north part of Japan to take new works for the series of photography taken inside the homes of elderly people The Game Keeper’s Jam Cellar. The show is using an abolished school. There is a hint of theater setting in the installation.

In Kamikoani, it is so far out so that the old tradition of Tohoku still remains. The village is famous for natural ceder. Though the straight lines made by artificial ceders are also bless taking. People are really shay and warm; it was really touching experience to meet them. Will be a good summer trip. If you are lucky, you might see bears.

Exhibition: 1 Aug - 13 Sep 2015
Venue: Okita-omote venue, Kamikoani Village (Akita-gun Akita-ken)
http://kamikoani.com/
http://kyokoebata.blogspot.jp/




















黄金町 Koganecho















































黄金町滞在

3月18日(水)

黄金町バザールのスタッフさんと黄金町町内会に作品の説明にお邪魔した。公文教室のステッカーと暴力団お断りのステッカーが入り口に貼ってある集会場。ちょっと緊張しつつ、靴を脱いで下駄箱に入れて2階の行くと会議用の机に20人ぐらいの人が座っていた。どうもダンガリーシャツのおじさんが町会長さんのようだ。

「作家って言うから男かと思ったよ」と歓迎された。

まずは亡くなった方のことをお孫さんが報告。続いてマンションの管理組合の報告。それから新しくできたケアセンターが料金の報告。月20万か最初に1000万円で??年。料金なんと据え置きなので、先に払った方がお得だそうだ。なんだか普段考えないようにしていることばかりを聞いたような気がした。

そして、私達NPOの活動の報告ということで、ご紹介いただいた。作品の説明を簡単にすると、「まあ、じゃあ、白寿会がいいよ」と紹介され、「最近亡くなった方の部屋はどうだ。まだ片付けてないらしいぞ」とざっくばらんに提案。すると、「ウチもいいよ」と別のお年寄りが。

その後、黄金町バザールにあるロックウェルズというコミュニティーカフェに。水曜日500円で食事の提供をしているそうだ。そこではお年寄りは見られなかったが、レジデンスをしている作家さん達にお会いして、地域の話を聞く。危なくはないけれど、まだヤクザのオフィスもあるし、ヘンな人に話しかけられたりはしたそうだ。作家のYさんは外でイヤホンで音楽を聴きながら丸ノコを使っていて、ふと見上げると、おじさんが立っていて「うるさいんじゃ、こらー」と怒鳴られたらしい。まあ、そのレベルなら何とかなりそうだ。でも、実際どなられたらへこむんだろうな。うわああ。でもこの界隈のこわいところに探検に行く約束もした。楽しみだ。カフェのオーナーさんにも昼の仕出しを入れているデイケアセンターにあたってみるというお話をいただいた。なんだか、うまくいきそうな気がしてきたー!

帰り道、いわゆる「ちょんの間」を改装したというギャラリースペースをのぞいて行った。当時は二人ひと組で、それにおばあさんがついているシステムだったらしい。実際に中に入って見ると、ウナギ床のスペースをどのように使っていたのか、あまりにも具体的な想像力が働きすぎて居心地が悪かった。世界で最も古い職業だったけか。このことについては、滞在中ノイズのように心の隅にあるのだろう。ゴールデン・ウィークにレジデンスをする予定だが、夜寝られるだろうか。ちょっと心配になってきた。でも、きっと大丈夫。いつもどんなに心配しても、やってみれば最後はなんとかなるから。


3月28日(土)

町内会の集まりでオッケーがでたところに確認すると、軒並み奥さんからノーが出て、だめになった。それで今度は白寿会というお年寄りの集まりに参加させていただくことにした。

白寿会をやっている町内会に着いてみると、合唱の会だった。とりあえず、一緒に歌うことにした。カラオケ画苦手なのに、歌っている歌が、ほとんどわかる。唱歌がほとんどだからだ。リズム感がないのに猛練習したクラッシックピアノ→死人の出た文京区でのお受験→ラテン語の合唱曲の練習で巻き舌のテストに人生初めての不合格→海外コースの私は未だにカラオケの持ち歌をもっておらず、数年に一回困る私にはちょっとショックだった。しまった。わたしの音楽能力はお年寄りと一番近いのかもしれない。楽しい。小学校以来、初めて大声で『翼を下さい』を歌ったら、泣きそうになった。子供の頃も謳う度に泣きそうになっていた。敗戦の歌なんだという解説を聞いた。知らなかった。

途中で選挙活動をしている人が挨拶に。一曲歌って、さわやかな挨拶をしていった。隣のおばあさんに聞いて見ると、誰だかみんな知っていた。ある意味、下ごころは私と一緒。

みなさまの清き一票もしくは撮影協力をお願いいたします!

歌の後は一緒にご飯を食べた。でもなんだかグループで人に当たると、いつも上手くいかない。みんな周りと横並びになってしまうから。とりあえず、今回はデビューどいうことで、これからうわさがまわったら、何かにつながるかもしれない。

その後近所を回り、Nさんを紹介してもらう。撮影に入ると、すぐに暗くなってしまったので、次の日改めて伺うことにした。

帰りにまたロックウェルズに寄った。音楽イベントをやっていて、オーナーの人が何人かに紹介して下さった。横浜愛に萌える人の話を神妙に聞いた。それから、野毛で焼鳥屋さんをやっている方が黄金町の立ち飲み屋に来ている生活保護を受けていらっしゃる方々を紹介して下さるという。つりが趣味だそうで、真っ黒に日焼けしている。東京湾の火力発電所の付近は海の温度が高いので、プランクトンが多くて、魚が回遊する必要がなくてぶらぶらしているので、油がのっていておいしいらしい。本当は入っちゃいけないけれど、こっそり行って釣ってくるらしい。お酒を一杯注がれてフラフラのまま、終電をダッシュでキャッチした。


3月29日(日)

次の日再訪したNさんはうちの母を少し賢くいい人にした感じ。おしゃれな健康ドリンクが出てきた。体を壊してしまったらしいけれど、とてつもなく前向き。娘さんが海外にいるらしく、一人で訪ねて行ったこともあるらしい。もう一人の娘さんの犬を預かっていた。まだ子供なようで、大興奮して走りまわっている。けっこう、きつめのアマ噛みがさく裂。でも、かわいい。

Nさんはすごく喜んで下さって、けっこう長居する。他に撮影させて下さる方がいないか聞いてみると、お友達のKさんに聞いて下さった。

雨の中、犬の散歩のついでにお友達の家まで送って下さる。友人同士でも家の中には入らない仲らしく、玄関先まで来て、一通り紹介をして下さり、それから娘さんが家に来るからと、Nさんはあわただしく帰って行かれ、Kさんと私は玄関先に残される。

Nさんの友人はシャイな方だったけれど、ちょっと話していると、捨てたいと思うものがあるのだけど、見て欲しいということになった。「身辺整理をしないといけない。でも捨てるのが難しい」という悩みを持っている人が多い気がする。

そこで出てきたのが掛け軸。美術=TVのお宝探偵団のイメージでが強いらしく、家の「宝」を引っ張り出して来て、あれこれ言うことを期待されるのは初めてではない。まったくわからないのだけれど、話を聞いて、どんな場面を描写しているか、空間の使い方やら、筆使いなどについてコメントし、良い絵である理由を言うと、ちょっと満足してくれる。なんだかちょっと詐欺をしているみたいな気分になってきた。こんな感じで羽布団とか売ってしまうのかしら。売れちゃうかもしれない・・・

それから撮影を始めた。案の定ちょっとはずかしいと、撮るそばから片付けようとするので、どうしても撮りたいものの辺りは、そこにあるものについてコメントをしながら、撮影を続けた。夕方になってしまって、自然光が入らなくなり、撮影を中止。こたつでコーヒーをいただいてTVを一緒に見て、おいとました。


4月18日(土)

ロックウェルズさんから紹介いただいた個人のデイケアを運営している方にご協力いただく。黄金町の駅で待ち合わせ、車でまわって下さる。ひっきりなしに携帯電話がなり、かなり忙しそうな様子。まず、大学生でも住んでいそうな、水色のファンシーなワンルームアパートを訪問。脳出血で体が不自由だそうだが、ほがらかな男性で、世話話をしつつ、撮影。犬と一緒に住んでいる。とても、しつけが良い犬で、一人暮らしのさびしさは全く感じなかった。

次に、予定していた方は具合が悪くなってしまったそうで、どうしようかと言っているうち、もう一人の方のお宅へ。だんなさんが亡くなって、目も不自由で生活保護を受けている方で、市の援助で立派なマンションに住んでいらっしゃるらしい。支援する方もさじ加減が大変なようだ。マンションの部屋の中には貧相な家具が並んでいて、そのコントラストがおもしろかった。おばあさんは首のまわりに布を巻いていて、風邪をひいたのでネギを巻いているそうだ。「おばあちゃんの知恵袋」的な情報は知っていたが、実際ネギをどのように巻くのか不思議に思っていたが、これで解決。おばあさんは目が悪いので、通風孔から入ってくる風の音や隙間風の音、鳥の声の話などをしていた。横になってずっと音を聞いているのかしら。それから、警報装置を鳴らしてしまったことをしきりに恥ずかしがっていた。最近の警報装置は進んでいて、入居者が転んだことを察知して警報をならし、そうすると警備の人がわんさか入ってくるそうだ。いつか自分の実家にも導入するのも良いかなと思った。そんなこんなで、約2時間。あっという間に時間が経ってしまった。


4月29日(水)

黄金町滞在開始。

ものすごくボロいビルに案内された。新宿から湘南新宿ラインの乗り継ぎに失敗して遅刻し、事務局の女の子にずっと遅刻の言い訳をしつつ、重いスーツケースをドシンドシンと言わせながら、やっと3階まで登る。ウォン・カーウァイの映画のようだけど、カビ臭いのがリアルな感じ。嫌な予感。案内されたぼろぼろのドアには「猛犬注意」の札が。その横を京急が金属音を立てながら走る。のぞき穴がテープでふさがれているのが薄気味悪い。やっぱり、すごいところに来てしまった感が増してきた。とはいえ、オシャレな女の子が普通にしているので、ビビっていることは表情に出さずにいようと思った。

ドアを開けると、台所の奥の日当たりの良い和室に布団がひと組置いてあるのが目に入る。用意してくれたのかなと、ちょっとうれしくなる。部屋には監視カメラの録画装置があるので触らないようにとの注意と、施設の使用についての簡単な注意を受けた後、「では、これで」と、取り残される。電車が通ると、ゴーっという爆音ともに、目隠し効果のある窓ガラスが赤、白、赤、白、となる。窓を開けると目の前の飛び乗れそうな距離に電車が走っている。窓の下を見ると大きな金属の酸素タンクがトラックの荷台に積まれている。「爆音」「危険物」冒険感満点だ。

とりあえず、部屋の中のドアを全て開けてみてから、各設備の確認。買い物リストに、炊事用手袋と消臭剤、それにバランス窯の排水口の掃除用洗剤を加える。もうちょっとワイルドに生きてみたいが、それは無理な相談だ。

とりあえず、今までお会いした中で可能性のありそうな所にもう一度連絡をしてみたものの、いまいちな感触だ。先日撮影させて下さり、お友達も紹介して下さったNさんは風邪をひかれたそうで、熱が39度もあるそうだ。うーん。滞在中に治ることはないだろうなあ。

近所のスーパーへ行った後、部屋に戻り、徹底的にやりたくなるのを、押さえつつ、一通り掃除。排水溝に環境に悪そうなものをやたらめったら流し込んだ。その後、ロックウェルズへ。水曜日は特別に安い値段で食事がふるまわれるので、滞在作家達が来ていて、ひとしきり話をする。ライブが行われていて、うさぎのぬいぐるみを着た老若男女が昭和歌謡を歌っていた。ライブの後の飲み会で、ギターを持った初老の男性が通りすがり、ミュージシャンが声を掛け加わる。写真を撮らせてくれるが聞いてみて、返事を待ったが、連絡はなかった。まあ、そうだろう。

部屋に戻り、シャワーを浴びてみるが、お湯がちょろちょろとしか出てこない。ちょっとみじめな気持で横になる。でも緑のランプシェードがレトロでかわいいじゃないか、電車が通るところを撮影してみればいいじゃないかと自分をなぐさめるも、数時間後には貧乏は無理だと、早くも限界に達する。電車の音と床の振動で5分おきに起こされる感覚のまま、朝を迎える。


4月30日(木)

朝になっても疲れていたので、ずっと布団に転がっていたが、騒音の中で寝ようとすると悪夢の連続で寝ていられなくなり、あきらめて起きることにした。ここに人が住んでいたのだろうか。どうかなっちゃわないのだろうか。黄金町は想像よりも手強い。

11時に担当のMさんと約束があったので、事務局に向かう。何件か心当たりのあるところを教えてもらい、一緒に周辺を回ってもらうが、収穫はなし。やけっぱちになってランチに入った洋食屋で声を掛けるも、もちろん断られる。例の不審者を見るような目つき。いやになっちゃうなー。でも、打ち合わせの後、細い線だけども、次にやることが見えて来たのはうれしい。だんだん事務局と地域との状況も見えて来た。すごく繊細な関係性を保ちつつ、がんばってやっているようだ。改めて感心する。

これからどうしたものかと悩んていたら、友人の作家から連絡が。用事で横浜に来ているので、寄ってくれるのとのこと。ひとしきり部屋で話をしたら、元気が出てきた。こうしてポツンと一人でいるところに来てくれるのは本当にうれしいものだ。近所のタイ料理屋に連れて行ってもらう。入るといきなりタイが広がっていた。メニューの日本語もあやしい。だんだん楽しくなってきた。ビールを飲みながら、料理をつまむ。おいしい。それに、安い。いいところかもしれない。ちょっと元気が出てきた。

例によってビール一杯で酔ってしまった私はロックウェルズへ。とりあえず酔っ払ったら寝られるかもしれないと。ロックウェルズは焼酎が専門らしく、焼酎のお湯割りを覚えた。焼酎が好きになれなかったのだが、飲めるようになっていた。すっかり大人だな。そりゃそうか。

夜は、疲れて前の日よりは寝たような気がする。同じビルに住んでいる作家さん夫婦によると、しばらくすると慣れてくるらしい。だが、朝はのんびり寝ていられないので、疲れが抜けない。


5月1日(金)

この日は、何も打つ手がないので、今までやってみたことをやってみる戦法を実行。全く知らない人に話しかけたり、飛び入りでの撮影には、ほとんど成功したことがない。成功したら良くないと思っているから、成功しないのかもしれないが。だって、知らない人を家に入れたら、だまされちゃうよ。それに、のこのこついていったら、どうしたって勘違いされるよね。何をされたって、私のせいでしょ、完全に。このあたりが矛盾しているところなのだ。「信頼」はどこから生まれてくるのだろうか。

少なくともコミュニティーの様な場所で、何かしらその人の情報があるところから始めている。それでも、直接の紹介者がいないと、結婚を申し込まれたり、色々大変な思いをする(申し込んでいただくだけでも、ありがたいと思えという声も聞こえてきそうだが)。それは自分で招いたことなので、誠意を持って対応しているつもりだが、いつも疲れ果ててしまう。写真という暴力を行使するのは、不思議な感覚だ。

で、今回は公園でたむろしている老人に話しかけてみるプロジェクトを実行することにした。黄金町から川を渡って少し歩くと大通り公園がある。もともと川だったようで、ずっと行くと元町までつながっているそうだ。そこにお年寄りがたむろしている。東京の方の殺菌された公園とは違い、ちょっとアジアのような光景だ。一人なら怖くて無理だが、黄金町に長期でレジデンスをしている作家のY君が緒に来てくれると言うので、やってみることにした。お年寄りから、戦争の頃のポジティブな話を聞いてみたいという。話を聞いてみると、道端で立っている娼婦の人に話を聞いたこともあるらしいので、とても頼もしい。

11時に約束した。公園の方へ。確かにお年寄りが集まっている。囲碁将棋をしているグループと、ただ話しているグループと、ばらばらっとしているグループ。だいたい3グループ位ある。それを横目にとりあえず、通り過ぎてみた。ちょっと行くと、すぐに人がいなくなり、普通の公園の体を成す。そこで、人がいるエリアに。昨日のバーの人のアドバイスは、まずカメラを見せて写真を撮りたいという意思を見せ、それからまずは仲良くなることだそうだ。とりあえず、カメラを取り出して肩からしっかりと掛け、2つのグループの間の開いているベンチに座って、どうするか相談することにした。

天気の話でもするんですかねー。
それって不自然じゃない?

と頭をひねっていると、向こうから、おじいさんがこちらにやってきた。なんだかちょっとよれよれしていたけれど、隣にY君もいるし、と勇気を出してとりあえず、「いい天気ですね」と話しかけると、なんとなく会話が始まった。隣のグループは中国人だから、気をつけろと言われる。一人向こうから歩いてきたサングラスをかけた派手なおじいさんはモノを盗るので気をつけろとのこと。こんな小さな公園の一角でなんだか派閥ができている。むしろ、都会にいるよりもわかりやすい。ちょっと悲しいような、でもわかるような気もした。しばらくして「写真を撮らせて下さい」と頼むと、スーッと向こうへいってしまった。そういえば寿町に行った時はカメラを向けるのは気をつけるようにと言われた。色々な事情で写真を撮られたくない人がいるからと。

やはり全く知らない人は無理かと思っていると、また次にママチャリに乗ったおじいさんがこちらへ。そして、私達が寄りかかっているベンチ的なもののはじっこに座って、向こうを向いて座った。おじいさんの意図を測りかねたけれど、またとりあえず話し返ると話が弾んだ。すると、だんだんまわりに人が集まってきた。なんだか、よれよれっとしていたり、病気で車いすだったりするが、みんなそれぞれ色んな話をしたいようだ。

「あなた、ここがどういう場所が知っていて来ている?」

と、また聞かれた。とりあえず「はい」と答えると、なんだか安心するようだ。「今の若いモノは」という話を忍耐強く聞いていると、色んな人が身の上話をする。半分ぐらい作り話っぽいし、突っ込みどころ満載でハチャメチャな感じだけど、なんだかおもしろい。生活保護だったり、自衛隊に入っていたと言う人も多かった気がする。しばらくしてから写真撮影のことを聞いてみたけれど、そうするとスーッとみんないなくなっていった。

脳卒中で車いす生活のおじいさんが、別れた奥さんが今日来ると言って、いったんその場からいなくなり、またおばあさんに車いすを押してもらいながら戻ってきたのが印象的だった。ほんとうに死んじゃいそうにボロボロな二人だったけれど、恋人同士のようで、なんだかすごく素敵だった。

おじいさんが毎朝夜明けに公園に集まるんだと言っていたので、Y君ともう一回夜明けに公園に行くことにした。

夜は同じビルに長期滞在している作家夫婦に台湾のバーに連れていってもらった。入ると、真っ赤なカウンターの棚には、お酒のビンが1.2本並んでいるだけで、あまりちゃんとしたバーの感じはない。しかも、そのバーのママさんは、おばあちゃんというかおばちゃん位で、ちょっと当てが外れた。まあ、若い女の子にとってはおばあちゃんなんだろうと思った。もしかして、ここはやっぱり見せかけは飲み屋さんだけど、上で何かできるところなのかしらと想像していると、作家さん夫婦は前も来たらしく、慣れた調子で注文している。なんだか不思議。おばさんは10年位ここにいるらしい。

そこへ、中年夫婦が入って来た。笑うセールスマンみたいな日本人のおじさんの奥さんはきれいな韓国の人で、韓国語のカラオケができるので、ここに来るらしい。息子さんの話を聞いたりしながら、カラオケの曲を聞いていた。上手だった。それで、なんだかせつなくなってしまった。


5月2日(土)

なかなか突破口がみつからず、ロックウェルズで音楽イベントをやっていた時、お客さんでいらしていた焼鳥屋さんに電話してみた。お酒の席でのことなので、どこまで本気かわからなかったけれど。いっしょに飲んで、知り合ってから、撮影のことを聞いてみようということで、飲みに行くことに。「飲みながら」に、無理そうな予感を覚えながらも、好意にすがることにした。やったことのないことに挑戦し、ディープな黄金町を体験してみるべきた。

マネージメントセンターの建物の前に、ライムライトというバーの名残の様な建物が立っている。たしか、黄金町ができたばっかりの頃、何かのイベントで行った時、外に出ていたライムライトのおじさんと話しをしことがある。横浜市に立ち退きに迫られているとかで憤っていた。それが今回来てみると、まだある。相変わらず営業している感じはしないが、ドアが開いていて、声を掛けることはできそうな気がする。でも、亡くなってたら、どうしようやっぱり怖いなと思って通り過ぎた。

近所のカレー屋さんに入って、従業員の女の子と仲良くなった。舞踏をしているらしい。ライムライトの話をしたら、行ってみたいと言うので、休み時間に覗きに行く約束をした。それで、一緒に見に行ったのだけれど、カウンターの奥に人が向こうを向いて寝ているが見えた。

「すみませーん」

なんどか、声を掛けて見たのだけど、返事がなし。でも、せっかく女の子につきあってもらったしと、何枚か撮影した。後で、写真を確認したが、やはり、許可を取らないで、後ろから撮っているかんじが、いやらしい感じがして、あまり好きになれなかった。

後日新聞で、ライムライトが取り壊されてしまったことを知った。

それから、近所のコミュニティーセンターを訪れる。長いこと地域で活動しているらしく、地元の様々な話を聞いた。この辺は在日韓国人、台湾人、タイ人、ブラジル人など、色んな人々が住んでるらしい。

夕方、横浜橋商店街のダイソーで焼鳥屋さんと待ち合わせ。焼鳥屋さんはママチャリで登場。すぐそこの立ち飲み屋一件目に入る。豆乳割りと、ゆでた落花生が出てくる。ゆでた落花生がおいしい。豆乳割りはまともな焼酎が入っていたら、いいアイディアかもしれない。知り合いらしいお客さん達は全員酔っていて、すごく距離が近い。話す時の顔と顔の距離が30cm以下だ。焼鳥屋さんには「痩せた方がいい」とお腹をぺろんと触られた。他の一人がメガネを取った方がかわいいと言って聞かず、本当にメガネを取ってきた。焼鳥屋さんが、私が「ボランティア」をしているから協力しろと紹介して下さる。

すると、メガネを取ろうとする人が、自分は刑務所で師匠に会って心を入れ替えて、今は手話のボランティアをしていると話てくれた。そして、あっちで飲んでいる人も、務所帰りで、自分は闇金だけれど、あいつは窃盗で、寿町に住んでいるから性質が悪いから気をつけろとアドバイスをもらった。

それから、牛小屋のおばさんには子供の様にかわいがられているから、聞いてみてくれると言って、電話番号をくれた。後で石小屋という店だということがわかった。もう一人の刑務所帰りの人にも連絡先をもらったが、「非通知で電話しても良い」と言われて、なんだかかえってこわくなってきた。でも、みんなやさしかった。ヤクザの娘さんっていう女の子もやさしかった。

その後、2件目に移動。闇金の人がおんぶをしてくれると言って聞かないので、郷に入れば郷に従おうと、背中に乗ってみた。おんぶしてもらったのはものすごく久しぶりで、視線が高くなっておもしろかったけど、いざ胸が知らない人の背中につくかと思うと、さすがに嫌になって、大騒ぎをしておろしてもらった。

2件目は、民家らしきところで、引き戸を開けると、奥にカウンターがあって手前はビールケースの上に板が置いてあり、その周りはプラスチックの椅子が並ぶ。焼鳥屋さんはそこの人も全員知っているようだ。しばらく話をしてから、焼鳥屋さんのお店に移動。タクシーの中で焼鳥屋さんのお友達の連絡先をもらったが、話を聞いているうちに、軽い脳梗塞をわずらって、苦労しているらしいということがわかった。とても気の毒だけど、さっきの「非通知設定で電話しても良い」というのもあったし、なんだか連絡先を渡すのがこわいなと思って、タクシーを降りるタイミングだったし、なんとなくそのままにした。

その後、持って歩いていた昔の作品の写真を見せると、良くあることだが「わからない」と説教が始まり、「連絡先を渡さないのは礼儀がない」と何度も言われた。今思えば、ただ説教したいだけなんだろうし、嫌だと思ったら嘘の連絡先を教えても大丈夫だったような気がするが、そのような機転が利かず、なんだか嫌になってしまって、軽くかわしてくると、その後何時間もずっとからまれた。

店を移動して、なぜだかまた先程の店に戻る。その人は私を子供の様にらみつけ、ずっとなにかわめいている。そして、なぜだか「僕の大切な親分(焼鳥屋さん)が私にだまされている」という論理に発展してきて、おどしてくる。間に他の男の人たちが座ってくれて、「よくあることだから、気にしないで」と言われた。なんだか途中で帰るのが逃げるようでくやしくて、そこにいることにした。その人の扱い方、というか付き合い方は、「おおげさにほめてあげること」らしかった。そうすると、なんだかはずかしくなって、おとなしくなってしまうらしい。でも、なんだかそれができずにいてしまった。

そして、ずっと絡まれ続け、なんとしたことか、泣いてしまった。小学生の頃はクラスのいじめっこがいじめているところに向かって行き、「やめなさいよー」とおせっかいをして、挙句の果てには仲良くなるのを自慢に思っていたくらいなおせっかいのバカなので、こういう状況で泣いたのは生まれて初めてだった。ずっと寝ていない上に、ムショ帰りの方々話したのも初めてだし、一日中色んな新しい体験をして、お酒に弱いのに昼からずっと飲み続け、疲れ切っていたせいかもしれない。いや、きっと歳のせいだろう。自分の長所だと思っていたフレキシブルさがなくなってきてしまっているのだ。忍耐強く想像力を働かし、その人を好きになれば、コミュニケーションはだいたい上手くいくものだ。人は「嫌だ」「怖い」と思うと、それに敏感に反応する。当たり前だ。店の人は「来なければ良いのに」と、あきれ果てて機嫌が悪くなった。ほんとうにそうだと思った。ほんとうに失礼だった。自分が情けない。情けない。と思うと、また涙。あほみたいだった。

その後、焼鳥屋さんがママさんがいるカウンターの店に連れて行ってくれた。焼鳥屋さんはそこにいる女性全員にセクハラをしているが、どうもそれは普通のことらしい。焼鳥屋さんは泣いている私に困ってか、ママさんに八つ当たりをするが、ママさんの対応の上手いこと。それに比べて自分の対応の下手なこと。もう自分がはずかしくて、情けなくて、ますます涙が止まらず、ママさんにやさしい言葉を掛けられると、余計涙が出てきて、本当に最悪だった。ママさんが胸にだきしめてくれたので泣き続けた。なんだかそこがやらかくて、情けなくて、はずかしくて更に泣いてしまった。あの胸はすごい。

帰りは、前の店から参加した中学校の先生が送ってくれた。「泣かないで下さいよ」と「朝まで飲みましょうよ」を繰り返し、エスコートしてくれようとしてか腰の辺りをさわってくる先生を尻目に、「いい写真が撮りたいの。すみません」とあほのように泣き続けた。そのうち、やっと収まってきたので、申し訳なく思って、黄金町エリアマネージメントの一帯の説明をちょっとしてから、部屋に戻ることにした。付き合って下さってありがとうございました。大変身勝手でした。みなさんに本当に申し訳ないことをしました。だらしなさすぎる。失礼ですね。「泣くなら、来るな」ですね。すみません。すみません。本当にすみませんでした。


5月3日(日)

次の日起きてから考えてみたが、昨日の話では一件撮影させて下さる方がいらっしゃると言う話だったし、はずかしいけれど、昨日のことももう一度謝りたいし、焼鳥屋さんにもう一度連絡してみることにした。電話で昼過ぎに待ち合わせの約束をした。

魚屋さんで撮影の約束があったので、そこに寄った後、また焼鳥屋さんと待ち合わせた。すると、丘を登って、港の雰囲気のある白地に紺の看板の酒屋の中にある飲み屋さんに連れて行って下さった。まだお昼過ぎだったけれど、もう数人の人が座って飲んでいた。みんな顔見知りらしくて、はじっこから紹介してもらった。しばらく飲んだけれども、なんだか上手くきっかけがみつからないまま、既に話してあったらしい、おじさん/おじいさんのお宅を撮影させて下さることになった。おじいさんというには、ちょっと若いけれど、まあ、おじいさんと言えるだろう。

生活保護を受けているとのことだったけれど、わりとこぎれいなワンルームの家だった。何件か生活保護を受けている家に行ったけれども、他人が出入りする家はそんなに汚れていない気がする。経部屋の真ん中のローテーブルに布が掛けられた物体があった。謎めいていて、そのままにしておいて欲しかったのだけど、布をとってくれた。中は鳥かご。黄色に赤いほっぺたのオカメインゴがいた。それを出してくれて、肩にのせて見せてくれた。かわいい。記念撮影をして、ちょっと話を聞いてから、撮影を始めた。

焼鳥屋さんは、手持無沙汰になったらしく、ちょっと出てくると言って、私とおじいさんをその場に残していった。よく見ると、きれいに洗った甲類焼酎の大型ペットボトルやカップ麺の発泡スチロールの容器が並んでいるのが、ちょっと特徴的かなと思いつつ、きれいに並べられているのに感心する。

焼鳥屋さんがビニール袋を手に帰ってきて、アイスクリームとかを沢山買ってきて、おじいさんにあげていた。

「申し訳ないと思ったのかな」

なんだか私もちょっと申し訳ない気分になった。でも、撮影もつつがなく終わって、和やかに岐路に着いた。それから、昨日の人が来ているけれど、また飲みに行くかと誘われた。ここで断っては女がすたる(この状況だと、「男がすたる」なのかもしれないけれど、私が女なので、ちょっと変だけど、とりあえず女がすたるで)ので、行くことにした。

昨日の飲み屋に着くと、昨日の人が他の人に囲まれて居た。挨拶して、平気な振りをして、他の人と話していた。その人は、まだ怒っていて、はでに睨みつけてくるのだが、周りの人が止めに入っていた。ちょっと困ったけど、逃げるのも嫌なので、しばらく居ることにした。

そのうち、何かのはずみで焼鳥屋さんが切れて、その人の顔をピュンと殴った。止めに入ろうとして、見たら焼鳥屋さんの目が三角になっていた。それから、何人かの男の人たちが外に出て、殴る人と、止める人。どうしようかと思いつつ、役に立ちそうもないので、とりあえずメガネが飛んだので、それが壊れないように拾った。血が飛んでいた。そのまま、平気で飲んでる人達もいた。

「よくあることだから大丈夫だよ」

と言われ、とりあえず見ていた。それから、ケンカが収まり、またみんなが飲み屋に戻り、飲み始めた。周りの人がすごくやさしかった。絶対泣かないと決めていたのだが、しばらくして涙が出てきそうになったので、トイレに行った。声が出てしまった。たぶん外に聞こえてしまっただろう。席に戻って、9時までと決めて粘って、帰ることにした。飲み屋の外まで送ってくれた焼鳥屋さんに丁重に謝った。

その日は、まっすぐ帰った。次の日、朝4時にY君と待ち合わせだ。冷静になってから、あの場でカメラを出さなかったなと、後悔した。


5月4日(月)

朝4時にY君のスタジオへ。前、大通り公園で、おじいさんたちが夜明けに集まるというのを間に受けて、見に行くことに。

まだ、暗くて寒い中、Y君と大通り公園でずーっと待った。離れたところの公衆トイレの周りで、人の出入りがあったけれども、何も起こらなかった。

すっかり明るくなったので、朝ご飯を食べることにした。タクシーの運転手さん御用達の中華があるということで、一番というお店に連れてってもらった。なるほど、早朝なのにけっこう人が入っている。お粥が食べたかったけれど、そんなものはメニューになかった。でも、大好きな豚足があったので、それをオーダー。でっかいのが出てきた。疲れた体に味の素入りコラーゲン投入。


5月5日(火)

その日はコミュニティースペースに顔を出した。帰りに大日本プロレスのタダ券をいただいた。今日開催。

「見ておいた方がいいわよ」

美術界にはプロレス好きの人が多いし、哲学的な行為なのかもしれないけれど、私はレベルが低く、最近までホラー映画も理解できなかったので、プロレスは怖くて見たいと思ったことはなかった。人の殴り合いをみるなんて、小学校の時のクラスの男子のケンカ以来だ。だいたい人が苦しんでるのを大勢で囲んで見て、何が楽しいのだろう。ひどいじゃないか。

途中まで歩いたけれど、道に迷ってしまったのでタクシーに。

「取材ですか?」

とめずらしそうに聞かれる。

ちょっと遅れて中に入る。体育館の外はスカパーのキャンペーンその他、業者の人達がうろうろしていた。中に入ると、暗い中真ん中にポツンと見えるリングとその周りを取り囲む簡易椅子。その周りの空きスペースがちょっと目立った。席に着こうかと思ったが、けっこうカメラを持った人がうろうろしているので、見やすいところで立っていることにした。

プロレスは、最初はふざけているように見えて、体を張ったお笑いみたいだったのだけど、だんだん蛍光灯を割ったり、釘を打った板がでてきたり、その上にたたきつけられたり痛そうに見えてきた。歌舞伎のように型みたいなものがあるようだ。本当に痛いのかもしれないし、ちょっとオーバーにやっているようにも見える。どこまで演技かわからなくなってくるところが、どきどきするのかもしれない。

最後の時、負けた方の人がニヤッと笑った気がした。

なんだかプロレス文化と、この辺りの文化が少しわかった気がした。おとといのケンカの前に見ておけば良かった。そういえば、ケンカの時「殴られ上手だね~」と言われていた。見て良かった。チケットありがとうございました。


5月6日(水)

昼からお客さんがくるとのことで、魚屋さんに向かう。おじいさん、おばあさんが集まって、カラオケを歌っていた。しばらく、話をしていたけれど、なんとなく金銭関係がある人達(お客さん)に撮影をお願いするのは気が引けてしまった。

それから、事務所に行って、相談に乗ってもらい、近所のIさんをご紹介いただく。


5月7日(木)

この日はこの辺の「顔」のFさんにお会いした。おじいちゃんだけど、なかなかしっかりしていらっしゃって、頼もしい。お友達をご紹介いただいた。


5月8日(金)

また、魚屋さんのお昼に顔を出してみる。今度のお客さんは宗教関係の集まりなようだった。韓国の撮影に協力いただいた牧師さんを思い出して、ちょっと期待したが、上手く説得できず。「怪しい」と顔をされると、悲しくなってしまう。

それから、黄金町のスタジオに滞在していた作家さんに紹介いただいた、Kさんのお宅に撮影へ。山ノ手の方に住んでいて、駅から丘を登りバラが咲く道を通って、お宅へ。横浜のハイソな地域みたいだ。お嬢さんが韓国で私の滞在先の目と鼻の先にあったレストランをやっていらっしゃることがわかった。スモールワールドである。その後の、撮影先まで車で送って下さった。電車に乗ると、いったん横浜に戻るのでわからないけれど、急な坂を下ると、わりとすぐ黄金町だった。

Fさんにご紹介いただいたおじいさんは会社の会長さんで、会社の最上階に住んでらした。エレベーターで最上階を押すと、普通のお宅が広がる。

中に通されると、大きなシステムキッチンの台の上に大きな発泡スチロールがあって、その中に貝と水槽ボンベが。とってもいい予感。周りを見回すと、窓際にマリア像があったり、洗濯ものがあったり、楽しくやっている感が出ている。撮影をしていたらあっというまに日が暮れてしまった。次の日にまた撮影する約束をして、おいとました。


5月9日(土)

また、会長さんのお宅に伺て、頼まれたポートレートを撮った。撮ったものを見せると、こだわりがあって、色々相談しながら撮っていった。こういうのが欲しいと言える人の撮影をするのは結構楽しかった。

他の部屋も撮ってみたけれど、やっぱり昨日の方が良かった。会長さんは疲れたらしく、お昼寝をししていた。帰りに声を掛けると、ちょっと手を触られた。これで、セクハラだと大騒ぎしてるんだから、私は恵まれているんだろう。普段、他人が入らない空間に人が入って来たので、奥さんと被ったのかもしれない。疲れているようなので、おいとました。


5月10日(日)

滞在最終日。快晴。青年会の救命ボートに乗って、川下りをした。低いところから流れゆく風景を眺めるのは楽しい。それに、水かちょっとかかるのが、やっぱりいい。申しわけみたいに、片づけを手伝ってから帰宅の途に着いた。


なんだか、自分の嫌なところを確認させられた滞在になった。滞在日記を書いていても、そこここに鼻もちならない自分が出てしまい、嫌になってくる。私って、何さまのつもりなんだろう。しし座だからいけなんだ、きっと(泣)。でもたぶん自分の弱いところをさらけだして楽しみつつ、自分を守ればいいのだと思う。また強くなって戻りたいけど、また泣いちゃうのかな。時間が経ったら、それもいいかなと、思えるようになってきた。